2025-6-6 【インスタ漫画】第370話。東日本大震災③ インスタ用漫画先読みの更新!ただいま可能な限り、夕方も更新やってます(主に平日)本日、第370話。※震災の様子が描かれています。画面から目が離せなかった。つづきはコチラ。 moroのインスタはコチラおまけ漫画がよめます。 「インスタ漫画」カテゴリの最新記事 タグ :#幼児#こもろ#こもたろ#発達障害#自閉症#東日本大震災#地震#過去話 < 前の記事次の記事 > コメント コメント一覧 (6) 6. 生まれも現在も関西住みの者ですが 2025年06月08日 01:17 あの日のことはよく覚えています。 丁度職業訓練学校での授業中でした。 こちらは流石に大きな揺れではなく震度3程度でしたがWeb関連のコースだったので揺れる度に先生が授業を中断して生徒全員が一斉にパソコンで震源地や震度などの情報収集を行っておりました。 阪神淡路大震災の時の恐怖が蘇りましたね。 あの時は通信手段は固定電話でネット等も個人の家にはない時代ですから情報源もテレビくらいしかなくどんどん増えていく犠牲になった方々の数が本当に恐ろしかったです。 その体験があった分被災された方々の不安と恐怖を考えると何も出来ないのがもどかしかったですね。 こちらにはなかった津波や原発の被害も大きかった分あの時の何倍も大変だっただろうと思います。(知ったような口を聞いて申し訳ありません) 0 morokomoro がしました 5. みかん 2025年06月06日 20:45 私は震災の時、後輩の卒業式の花を買うためにスーパーに いました。 あの時の揺れと、帰ってからのニュースの映像に 不安でいっぱいでした。 震災から数年後、震災復興に関わる仕事をすると決意し、 今は福島県の浜通りで働いています。 0 morokomoro がしました 4. むらさきべいびー 2025年06月06日 20:06 あの時私は東京の養成所でレッスン中でした。50人近く同じホールに居ましたが、皆身を寄せ合って揺れが収まるのを待っていました。勿論レッスンは中止。電車が止まっていたので、歩いてすぐ帰るのか養成所で家族の迎えを待つか各々で〜と言う流れになり、私の家は歩いては無理な距離だったので歩いて行けそうな友達の家(それでも2時間半歩きました)に泊めてもらいました。 友達家族と外食先で見たニュースの映像に物凄い恐怖を感じたのを覚えています。その日から暫く不眠症になってしまいました。。一睡も出来ない日もありました。 0 morokomoro がしました 3. はる 2025年06月06日 19:29 私は、あの日あの時間バイト中でした。 揺れがおさまってからバイトが終わるまで、日常でした。電車が止まってるらしいよと退勤した人が帰り際に教えてくれて、私たちは「すごい揺れだったからね」って台風が近づいてる時とかの運休程度にしか思いませんでした。 バイト中はケータイも見れないし、テレビやラジオニュースが流れているようなお店でも無く。その後帰宅するまで、大震災になっていたと気づきもしませんでした。 良くも悪くも都心部で倒壊や津波も無かった。だから夕方の帰宅から次の日まで、実感が湧かなかったです。 0 morokomoro がしました 2. 紫苑 2025年06月06日 18:42 この時高校の春休みだったけど用事で学校に行ってるときに地震があり、ネットニュースで大きな地震があったとの報道を見てました。 帰ってきてTVを見たらこの世とは思えない光景が映ってたのを今でもはっきり覚えてます。 0 morokomoro がしました 1. かぁちゃん 2025年06月06日 18:41 その日私は仕事上がりで愛知県の美容院で施術を受けていました。 こちらでは椅子に座っていた時にひどいめまいが起きたような感じでした。 直後に地震?とはなりましたがそれて終わっていたのですが帰宅途中母から電話があり今すぐテレビ見て!と言われてその状況に絶句したのを覚えています。 もろさんは震源に近い地方で小さい子を抱えてとても不安だったと思います。 0 morokomoro がしました コメントフォーム 名前 コメント 記事の評価 リセット リセット 顔 星 情報を記憶 コメントを投稿する
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コメント一覧 (6)
丁度職業訓練学校での授業中でした。
こちらは流石に大きな揺れではなく震度3程度でしたがWeb関連のコースだったので揺れる度に先生が授業を中断して生徒全員が一斉にパソコンで震源地や震度などの情報収集を行っておりました。
阪神淡路大震災の時の恐怖が蘇りましたね。
あの時は通信手段は固定電話でネット等も個人の家にはない時代ですから情報源もテレビくらいしかなくどんどん増えていく犠牲になった方々の数が本当に恐ろしかったです。
その体験があった分被災された方々の不安と恐怖を考えると何も出来ないのがもどかしかったですね。
こちらにはなかった津波や原発の被害も大きかった分あの時の何倍も大変だっただろうと思います。(知ったような口を聞いて申し訳ありません)
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いました。
あの時の揺れと、帰ってからのニュースの映像に
不安でいっぱいでした。
震災から数年後、震災復興に関わる仕事をすると決意し、
今は福島県の浜通りで働いています。
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友達家族と外食先で見たニュースの映像に物凄い恐怖を感じたのを覚えています。その日から暫く不眠症になってしまいました。。一睡も出来ない日もありました。
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揺れがおさまってからバイトが終わるまで、日常でした。電車が止まってるらしいよと退勤した人が帰り際に教えてくれて、私たちは「すごい揺れだったからね」って台風が近づいてる時とかの運休程度にしか思いませんでした。
バイト中はケータイも見れないし、テレビやラジオニュースが流れているようなお店でも無く。その後帰宅するまで、大震災になっていたと気づきもしませんでした。
良くも悪くも都心部で倒壊や津波も無かった。だから夕方の帰宅から次の日まで、実感が湧かなかったです。
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帰ってきてTVを見たらこの世とは思えない光景が映ってたのを今でもはっきり覚えてます。
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こちらでは椅子に座っていた時にひどいめまいが起きたような感じでした。
直後に地震?とはなりましたがそれて終わっていたのですが帰宅途中母から電話があり今すぐテレビ見て!と言われてその状況に絶句したのを覚えています。
もろさんは震源に近い地方で小さい子を抱えてとても不安だったと思います。
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